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「日韓友情年にふさわしい、『マンガ嫌韓流』の発売」 を読んで

読者からのメール

日韓友情年にふさわしい、「マンガ嫌韓流」の発売
を読んで

上手くいえませんが。
西尾幹二先生が、『民族への責任』で書かれていらっしゃる、(不正確な表現ですが)日本の教科書採択を包囲する"恐怖"のようなもの、それと全く同質の"恐怖"に言論界、或いはメディアも覆われているような気がします。
メディアと"進歩的"教育界は、共同戦線・統一歩調を取ってきましたから…。(そして社民党でしょうか…)

少なくとも1990年ごろ、もしネット・メールが存在していたとしても北朝鮮の悪口を言い得ただろうか?と考えます。

1991年か92年の小さな出来事です。
私は、親友と泊まりのスキー宿で二人で話していたときに「韓国人って怖くない?」と言われたときに恐怖を覚えました。私は、「良く分からない」と答えました。
私は、恐怖していました。

当時もテレビなどで韓国での日本大使館への火炎瓶投擲などは、放送されておりました。具体的に韓国人を知ると言うよりメディア・テレビを通じて知るのみです。
(ただし80年代〜90年当時朝鮮高校(正確には中・高級)の生徒の暴力は有名でした。)

誰しもが、テレビを通じて韓国人らの凶暴な抗議デモは知っていましたが公言して批判できるという空気ではなかったと思います。あくまでも、相当親しい友人との間でのみ僅かに語られると言う感じで。
ところで、何に恐怖していたかと言うと、上手く説明できませんが"差別"という問題でしょうか。
差別者として糾弾されることを怖れていた、とでもいう感じです。上手く説明できませんが。

実は、説明できない恐怖感と言うのが正確なところです。
なぜ恐怖なのか説明できないのです。
そもそも何が恐ろしいのか、分からない"語ること事態への恐怖=タブー"の感覚に支配されていました。
実は論理など無いのです。

心の内では、韓国人を嫌悪していました。子供の頃から朝日新聞以外取って居ませんでしたが、韓国の情報は結構、載っていました。例えば、子供の頃に読んだ朝日記事では「韓国でタクシーに乗ったらトンネルでお前日本人だろ!と恫喝されて降ろされた」という類の韓国特派員のコラム記事です。

でも、実際にそれについて語ることはせず、私は「知らない」と逃げました。
相手も、相当に慎重に話し始めたと言う具合だったのです。
何が恐怖感だったのか、未だに説明できませんし、今は生々しく思い出すことが出来ません。

ただ、そのときの記憶、故意に知らないと回避した記憶だけはあります。現在では、気軽に?当時から考えれば相当に気軽に語れます。ただ、当時を支配した恐怖感、閉塞感と言うものは、もうリアルに感じ取ることが出来ません。

冒頭で、北朝鮮と書きましたが、当時、北朝鮮と言う国家が存在すること自体、そのこと自体が"ある種の発見"であったということも、もはや伝わらなくなっています。今では、ネットのお陰で朝鮮に関する知識が飛躍的に、そして驚異的なことに、朝鮮に関する知識を持つと言うことが、いわば常識的になっている現在では信じてもらえませんが

1.朝鮮戦争という戦争自体が有ったという事実を信じてもらうこと、それ自体に努力が必要であった

2.韓国の北方に北朝鮮と言う国家が存在すると言うこと
 「地理」という教科から離れて久しい学年となると思い出せないと言うか 忘却されてしまうと言う事実、或いは感覚

3.2と重複しますが、北朝鮮と言う存在自体の奇妙な不存在感
  存在するのに報道されないテレビなどのメジャーなメディアに載らないという妙な感覚(新聞にだけは、時々掲載されます)

少なくとも、この2点は忘れないで欲しい、「昨日までの出来事」だと思います。そして、それは文章だけでは伝え難い、「ソース」を示すことのできない"空気"だと思うのです。

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今、メディア関係者の感じているもの…もしそれが、韓国批判と言うタブーであるのならば、韓国批判への恐怖、それは他人事とは思えないのです…。
あの恐怖とは、一体、何だったのか…?未だに説明できないのです。差別者として糾弾される恐怖・同時に糾弾を避けんが為の"善なる者"への疾走。同時に、韓国人という者への恐怖。暴力・脅迫への恐怖、心理的屈服…。
あえて、作文的に書いてみれば、やはり伝わらないなと言う感覚に囚われます。

 

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2004 Kohyu Nishimura