「NEWS 23」が国民大集会を1秒も報じなかった理由を暴露した、あの伝説の評論!
拉致家族と朝日新聞&筑紫哲也の深すぎる溝-1
国民大集会を黙殺し、曽我さんの夫の住所は“スクープ”したメディアの罪と、悪しき「平和幻想」
月刊「諸君!」2003年7月号掲載
去年の九月は雨が多かったという記憶がある。ジャズの名曲「セプテンバー・イン・ザ・レイン」を思わせる小雨が日比谷公園のアスファルトを濡らしていた。彼岸を前にしては肌寒い祝日だったが、日比谷公会堂は緊迫した熱気に包まれていた。二〇〇二年九月十六日の午後、小泉訪朝を翌日に控え、北朝鮮に拉致された日本人を救出する全国協議会(以下、救う会)や家族会、拉致議連などの主催による集会が開かれていたからだ。
家族会と救う会が結成された翌九八年に北朝鮮は弾道ミサイルテポドンを発射した。結成した二年後、つまり、テポドン発射の翌年から彼らは毎年一回、国民大集会を開いていたが、日比谷公会堂が二階席までほぼ満員となり、大きな掛け声や激励が会場の至る場所から壇上に浴びせられ、緊張感と熱気がここまで交錯したことはこの日まで無かった。小泉訪朝の前日に2千人近くが集まっていたのだ。十一月三日に行われる集会を急遽この日に変更したのは、歴史的な小泉訪朝が実現したからだった。
家族会、救う会にとって、遂に待ちに待った瞬間が訪れる。拉致事件を解明する糸口が開かれる。四半世紀も前に行方不明になった家族を取り戻せるかも知れない・・・。そんな彼らの想いが充満した日比谷公会堂は、変哲のない日本の日常とは明らかに異なった空間になっていた。「小泉総理は日朝首脳会談ですべての拉致被害者の救出を」と、この日会場で配布されたビラには彼らと支援者の希いを直裁に訴えるメッセージがあった。
「私たちは金正日に要求する。拉致はあなたの責任において行われた国家犯罪である。この解決なくしては国交正常化の実現も、もちろん援助もない。それどころか、強い制裁措置に至ることは自明の理である。直ちにすべての拉致被害者の現状を回復し、謝罪するよう求めるものである」
閉会間際に発表されたアピールにはストレートに、分かりやすく、こう謳われている。と同時に、小泉首相が家族会、救う会と訪朝前に面会しないことへの抗議と要望も読み上げられた。逼迫した被害者たちの気持がこもった肉声だ。
「政府専用機の出発までまだ丸半日余の時間が残されている。総理が家族に会えないはずはない。拉致問題が最大の焦点である今回の訪朝で出発前に直接家族の声を聞くのは当然のことである。私たちは総理に再度家族との面会を要求する」
日比谷公会堂を揺るがす大きな拍手と共にアピールは採択され、最後は童謡「ふるさと」を会場の全員で唄い、シュプレヒコールで閉会した。涙を流している参加者も少なくなかった。にもかかわらず、この集会を報道するメディアは、小泉訪朝の前日ということもあり多くの報道陣が取材していたのだが、集会の熱気と緊張感を何気ない
<変哲のない日常> のシーンの一つとしてしか伝えていなかったのではないか? このギャップが、じつは拉致被害者が帰国した十月一五日以降泛かび上がった、報道の様々な問題点の原因として、あらかじめ胚胎されていたのである。集会が終わると雨も止み、水たまりが薄日を鈍く反射させた。
約二万人の国民大集会
約八カ月後の二〇〇三年五月七日、有楽町の東京国際フォーラムで集会が行われ、五千人収容の会場に六千人が入場し、なお千人が臨時の別会場でモニターを見ながら参加した。それでも入れなかった五千人は会場ホールや周辺で中の様子を見守っていた。有楽町駅から会場への道では入場不可能との案内もあり、引き返した多数の人も加えれば、二万人近くが「拉致はテロだ! 国民大集会」に訪れたと推定される。家族会、救う会、拉致議連の主催者側は途中壇上から何度も抜け出し、会場外の入場できなかった人にお詫びの挨拶をしたのだが、場外も臨時集会場と化し、中の様子を見守っていた何千人もの人々に激励され、シュプレヒコールで応えるという一幕もあった。八カ月前の日比谷公会堂の緊張感と熱気が、東京国際フォーラムでは比較にならないほど増幅され、拉致問題の解決を目指す国民の希いがうねりとなり、一点に凝縮した歴史的な記念日となったのである。
拉致被害者が帰国した翌々日の十月十七日、北朝鮮に死亡と発表された増元るみ子さんの父、増元正一氏が八十歳で亡くなった。東京から駆けつけたるみ子さんの弟照明氏に「わしは日本を信じる。お前も日本を信じろ」と臨終の言葉を遺し、静かに息を引き取った。この増元正一氏の最後の言葉は余りに重い。増元正一氏の遺言とも言える「日本を信じろ!」というメッセージは、拉致問題を
<変哲のない日常> と同位相で報道する日本の状況を切り裂き、その断面を私たちに示してくれるのだ。父の遺影を集会で終始胸に掲げていた増元照明氏はこの日の集会をこう振り返った。
「遺影をずうっと持っていたのは、父とあの場に一緒にいたかったからなんです。会場が満杯になっていることは知っていたんですが、実際に幕が上がって会場が見えると本当に驚きました。感動しました。東京国際フォーラムは場内が明るいので二階席の奧までビッシリ人がいて、立ち見の方も見えたんですね。勇気づけられたのは拉致被害者の五人も同じです。五人も感動して、凄く力になった、と言っていました」
家族会、救う会、拉致議連の一同は全員が同じことを感じ、言葉にならない情感に打ち震えていた。しかし、彼らが集会の参加者に心を動かされ、勇気づけられ、五人の拉致被害者を取り戻していたという状況の変化はあるにせよ、日比谷公会堂のときと比べて内実に大きな変化があったわけではない。不遜な北朝鮮の対応と戦略の一欠片も見せない外務省の危うさは、事態を一向に打開していなかったので、彼らの訴えは小泉訪朝前と何ら変わっていなかったからだ。冷徹に言えば、五月七日の集会の成功は、彼らを中心とした支援の同心円が何十倍、何百倍に広がったという事実に過ぎなかった。全面解決まではまだまだ遠い道のりが残されているからだ。また、集会を伝えたメディアも基本的には八カ月前と変わった訳ではなかった。もちろん、拉致被害者五人の帰国を経て小泉訪朝前より理解が進んだメディアは、より拉致問題の本質に迫る報道を可能としていたが、最も重要な問題を忌避したままなのである。
なぜなら、<変哲のない日常> として拉致問題を報道するスタンスは、日比谷公会堂のときと変化はなかったからだ。重要な問題とは、拉致はテロであり、<非日常>
の有事であるという認識をメディアが欠いていることだ。
集会を無視した筑紫哲也
しかし、五月七日の集会に関する報道で興味深いことがあった。驚いたことに、筑紫哲也氏がキャスターを務めるTBSの「News23」はこの集会に一切言及せず、一秒も報道しなかったのである。
Continued・・・