西村幸祐の仕事

           
 
 

八月十五日、靖国参拝に雨が降る。-1 

篠付く雨の中を訪れた、古賀誠日本遺族会会長、ネット参拝の若者らは靖国の危機に何を思う。
月刊「諸君!」2003年10月号掲載

 

 前夜からの雨足がなお勢いを強め、八月十五日の早朝には土砂降りの雨が靖国神社の大鳥居を叩いていた。熱波による死者をフランスで五千人以上も出した世界的な異常気象から日本も例外ではなかった。八月下旬まで梅雨前線が日本列島に停滞した平成十五年の夏は、夏の実体がないまま、通り過ぎて行ったのだが、冷たい雨に打たれた終戦記念日の一日が何よりも現在の <実体のない日本> を象徴していた。

 灼熱の甲子園で聞く正午の黙祷のサイレン。日本武道館の戦没者追悼式の夥しい白菊と天皇の声。滴り落ちる汗を拭いながら靖国神社の敷石を黙々と踏みしめる参拝者たち。そんな夏の風物詩が、いつからか終戦記念日が次元の違う政争の場に置かれることで散文的になり、変質してきたことへ、とどめを刺さんとばかりに天が降らせた雨だったのかも知れない。恐らくこの日、靖国神社に参拝したほとんどの人が口には出さなくとも同様のことを感じていたはずだ。戦没者、英霊の涙雨ではないか、と。

 小泉首相が就任前に自民党総裁選で公約していた終戦記念日の靖国参拝は、就任以来三度破られることになった。しかし、一方的に小泉首相を公約破りと非難できないのは、昭和六十年以来十六年間、橋本龍太郎氏を除き現職の首相九人が一度も靖国神社に足を踏み入れられなかったという異常事態に少なくとも楔を打ち込めたからである。小泉首相は年に一回は靖国参拝を行っている。終戦記念日の参拝は果たしていないが、現職首相の靖国神社参拝は、そういう意味で意外に高く評価できる行為なのである。

 
 今年の一月十四日、日露首脳会談を終え、ロシアから帰国した直後に突然小泉首相は靖国に姿を現した。唐突、と当時のメディアは報じたが、なぜ、想像力を働かせなかったのであろうか。小泉首相が帰国直前に日本政府が一九九五年に建設したハバロフスクの「シベリア慰霊平和公苑」の「日本人死亡者慰霊碑」に参拝したことが大きなモチベーションになったのではないかと私は勝手に推測する。零下二十度の厳冬下、小泉首相はコートを脱ぎ捨て慰霊碑に跪(ひざまず)き、極寒の地で命を落としたシベリア抑留者に涙したのだ。帰国後、靖国へ彼を駆り立てたものは、日本人としての、人間としての、自然な感情の発露であろう。

 

 

次世代が伝える遺族会の理念


 たとえ政治的な立場は異なっていても、戦没者の霊を慰め、追悼するという行為は本来日本人として <世俗的に> 共有されていたものであるはずだ。日本遺族会会長で元自民党幹事長の古賀誠氏は奇しくも今年二月に父親が戦死したフィリピン、レイテ湾を訪れている。
「長い間、躊躇していました。野中(広務)さんに背中を押されて二人でレイテに行ったんです。息子も連れて行きました。父が戦死してから六十年目の節目で。面白いことに、その地に立ったとき雨が急に降ってきた。慰霊碑から離れたら雨が止み、陽が射してきた。親父が涙して喜んだんだって思いました。不思議ですよね。五十八回目の終戦記念日も同じように雨が降った。五十八年という歳月がたち戦後生まれが七割を占めるようになったいま、我々が辛うじて戦争を知っている最後の世代なので、どう戦争を伝えていくのか大切だと思いました」

 古賀氏は靖国参拝を済ませた後、武道館で行われた戦没者追悼式に出席したが、それが彼の何年も変わらない <この日> のスケジュールとなっている。遺族会の会長には平成十四年に就任したが今後の問題点をこう続けてくれた。
「遺族会は戦死した方の未亡人が中心になって発足しました。現在、平均年齢が八十五歳になって過渡期を迎えています。遺児の世代が先代の考えをしっかりした理念と哲学で継承し、伝えていくことが今後の課題です。英霊の顕彰、遺族の支援も大切ですが、我々が日本をどういう国にしていくかを考えなければならない。戦争を繰り返さないような国にするという使命感を持っているんです。遺児の会に出ると話題になるのは、散って行った英霊は経済大国の日本より、日本人の心、日本のいいものを遺したかったんじゃないか、日本のあり方を訴えているんじゃないか、という話になるんです」

 終戦記念日の靖国神社が英霊の顕彰、追悼の <聖地> から手垢にまみれた政争の場に引きずり降ろされたのは、中曽根首相が中国の抗議に屈して参拝を中止してからで、ほぼ平成という時代の流れの中にある。正確には、昭和にも何回か政教分離問題で政治的な争点になったこともあるが、日本の <世俗> としての神社参拝が政教分離に反しないのは当然であり、硬直した政教分離論で靖国参拝を違憲とする考えは、最高裁の判例もあり、それほど問題視する必要はない。しかし、結論から先に言えば、ソ連崩壊による共産主義の終焉が靖国を政治的なものにしてしまったのだ。ちょうど平成という時代が、国際共産主義の崩壊から始まっているという符号が重要なのである。

 経済力を着実に付けてきた中国と九一年に国連加盟を果たした韓国が、靖国参拝を問題視して外交カードに使用してきた背景には、間違いなく日本の反日勢力の方針転換とリンクしていた。共産主義の末路を目にした日本の左翼勢力が時代遅れになった仮面を脱ぎ捨て、新たな <反日主義> とも言える仮面を装着することによって、新しい政治的な争点を急拵(きゅうごしら)えしたのだ。中国と韓国がその動きに呼応した結果、靖国神社は、従軍慰安婦、強制連行、教科書問題という捏造史観三点セットに、南京虐殺まで加えた外交カードに新たに挿入されたジョーカーになってしまった。そして、その動きを促進させたのが一部の日本メディアなのである。

 

朝日新聞とTBSは幼稚なカルト


 終戦記念日の前日、朝日新聞夕刊に興味深い記事が掲載された。「ナショナリズムを問い直す3 アメリカと深層心理」と題された寺島実郎氏(財団法人日本総合研究所理事長)の論文である。
「小泉政権がスタートし、首相が『八月十五日に靖国神社に参拝する』と語った時、米国の対日政策関係者に緊張が走ったという。『A級戦犯が合祀されていようが、首相として靖国を公式参拝する』ということは、論理的帰結としてサンフランシスコ講和条約で確認しているはずの東京裁判を否定する可能性を暗示するわけで、米国としては『本格的ナショナリズムに回帰した政権の登場か』との疑念が生じたのである」とのっけから驚かせてくれた。

 終戦記念日の靖国参拝は昭和五十年の三木首相から六十年の中曽根首相まで普通に行われていて、何を今さら「米国の対日政策関係者に緊張が走った」と言うのだろうか。戦犯が合祀された経緯は昭和二十八年まで遡る。すでに日本が主権を回復した昭和二十七年に、連合国の軍事裁判で刑に処せられた者は国内法上の犯罪者として見なさないという法務省の見解が出され、翌二十八年には社会党の提案で <戦犯> 処刑、獄死した者も対象とする遺族援護法の改正も行われ、BC級戦犯から靖国神社への合祀が始まったのは昭和三十四年である。

 続いてA級戦犯の十四人は昭和五十三年に合祀された。A級戦犯が合祀されてから初めて参拝したのは "クリスチャンの" 大平首相だったが、昭和五十四年のことなのである。寺島氏の論理ではこの時点で、日本は東京裁判を否定したということになる。果たして、アメリカは当時、どういう反応をしたのであろうか? 東京裁判をどう評価し、否定すべきかどうかは別問題としても、時間軸を無視した、余りに粗雑な論理である。

 さらに寺島氏はこう筆を進める。「『ぷちナショナリズム症候群』といわれ、昨年のサッカー・ワールドカップ辺りから『ニッポン大好き』という若者の屈託のない自国愛の傾向が顕著になった。(略)自らのアイディンティティー(帰属意識)を求める傾向は、空疎な国際化思想より評価できる。ただし、自らの民族・国を愛す気持ちは、国際社会を構成する様々な民族、国の存在への敬意へと広がりを見せなければならない。『開かれたナショナリズム』でなければならないのである。とりわけ、近隣諸国の理解を得られなければ、視野狭窄の自己主張に終わる」。
 氏は、ワールドカップ開催から「若者」の「ニッポン大好き」が始まったと本気で思っているのであろうか? ベルリンオリンピックの「前畑がんばれ」を知らないのか、とまで言わないが、敗戦直後の古橋廣之進の世界記録に熱狂した日本人も、東京五輪を開催、歓喜した日本人も、ヨーロッパのF1グランプリ開催のサーキットで八〇年代から日の丸を振るバックパッカーの日本人も、鈴鹿サーキットが日の丸で埋め尽くされた九二年の日本グランプリも、知らないのだろう。

 日本代表のサポーターが誰に強制された訳でもなく、大きな日の丸にあたかも戦時中同様の寄せ書きを始め、君が代を合唱し始めたのは九三年のアメリカW杯予選からだ。それらの歴史的事実も意図的に無視し、お粗末な文章を綴る氏は、昨年のW杯で日本人が見せた素朴なナショナリズムの自然な発露に恐れおののき、「ぷちナショナリズム症候群」という標語で必死に否定しようとしていた滑稽な人々の一人なのだろうか。

「自らの民族・国を愛す気持ち」が「様々な民族、国の存在への敬意へと広がりを見せなければならない」のは、まさに首相、閣僚の靖国参拝を低次元に非難する日本の「近隣諸国」なのである。昨年のW杯で日本から世界中に発信された情報で最も世界に衝撃を与えたのは、日本人があまりにも「開かれたナショナリズム」を持ちすぎていたことだ。韓国の偏狭で愚直なナショナリズムと対照的だったので、一層印象深く世界中のスポーツファンの胸に刻まれているはずだ。

 かくも幼稚な論文が臆面もなく紙面に掲載されるのは、メディアが靖国参拝、終戦記念日といった記号を扱うときに、メディア自身も幼稚になるからだ。終戦記念日にTBSのNEWS23は筑紫哲也氏がオウム真理教や新興宗教の教祖のように見えるビジュアル空間に登場し、不気味な音楽とおどろおどろしいSE(効果音)を用いて、まるで <筑紫教> とでも言えるカルト番組を放送したのだが、さすが寺島氏がよく出演する番組である。終戦記念日を挟んで朝日新聞とTBSがこのような扱いをしたことも、新しい夏の風物詩(怪奇譚)と言えるのだろうか。

 

国家神道を必要としたGHQ


 しかし、靖国を政治問題化するとき、大方はこの手の粗雑さが拭えないのが現状である。ほとんどが安直な戦犯合祀批判と神道の多神教的な柔構造とアニミズム的許容性を敢えて無視した形で問題にしているのである。

Continued・・・

 

 

 
 
 
 

 


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2004 Kohyu Nishimura