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西村幸祐の仕事
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| 特別企画 日本は、占領軍GHQに、どう洗脳されたか? WGIP(War Guilt Information Program)を検証する。 ※保坂正康氏と山本武利氏の対談、横山陽子さんのインタビューは平成16年1月号の「諸君」(文藝春秋社)に掲載されました。転載に快諾頂いた、保坂氏、山本氏、横山氏並びに、文藝春秋社、「諸君!」編集部に心から感謝いたします。
アメリカはそこから大量に情報を収集し、捕虜への対応のノウハウを占領下の日本人にも適用したことを、アメリカ国立公文書館での資料収集によって明らかにされました。そうしたアメリカの日本研究があったがために、日本人が天皇への崇拝の念を持っているから、戦争責任を天皇に問わない方が上策であるという認識にアメリカは達しました。 保阪 日本とイラクとを比べると、本当に日本はおとなしかったと思います。占領下にテロ行為や抵抗運動はあるだろうと思い、改めて調べましたが全くなかった。日本人の反抗があまりにもないことで逆にGHQが驚いているくらいです。それは、もう本当に不思議だなあ、と思います。 保阪 国民性については、まだ誰もが納得できる論というのは書かれていないし、僕にも分からないけれど、ただ、僕が戦争にこだわるのは、戦争のメカニズムが日本の場合、特異性を持っていたということです。ドイツや、イタリアと比べても、軍事指導者が軍事以外のことについて無知で、高度国防国家といっても日本全体を兵舎のようにしてしまうだけだった。 保阪 僕は大本営発表に興味を持って、今、調べています。大本営発表は八百四十六回ある。例の昭和十六年十二月八日午前六時の「帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋に於いて米英軍と戦闘状態に入れり」というのが一号なんですが、終わりがないんです。八月十四日が最後で、「我が航空部隊は鹿児島東方二十五浬に於て航空母艦四隻を基幹とす敵機動部隊の一群を捕捉攻撃し航空母艦及び巡洋艦各一隻を大破炎上せしめたり」という内容です。で、いきなり二十一日に飛ぶ。大本営の代表がマニラで連合国から指令を受けたという内容です。奇妙な情報伝達です。八百四十六回を並べると、昭和十六年の十二月だけで八十何回で、全体の一割です。勝った勝った、のときは多いですが、二十年の六、七月になると二、三回。ほとんどもう伝えないですね。 正直と言えば正直なんです(笑)。内容も初めは主語と動詞が明確なんですが、だんだん主語に形容句がつく。「忠勇無比なるわが皇軍部隊は」とか。緒戦ではつきませんよ。「わが陸海軍部隊は」というんですね。国民へのメッセージ伝達も大本営発表しかなかったわけですが、新聞がその情報を膨らますわけです。国民が本当の情報を知らないのは、それだけを読んでいたからです。内容も、戦況が逆転してから誇大になりますが、ある時期からはさらに精神化します。軍事じゃなくて、美学のカタルシスに入っていく。その一方で、マニアックに大本営発表の内容を吟味していた国民なら、毎日、撃墜される飛行機の数を足し算すると、アメリカの飛行機はすごい数になるし、艦船もすごい数になる。これはおかしいな、と分かってしまう程度の情報だったんです。 山本 新聞は紙背で読者に真実を密かに伝えていたんでしょうかねえ。 山本 一番影響力が大きかったのは爆撃機が爆弾とともに落とすビラですね。量たるや、莫大ですから。それと戦況を示す経済的、社会的混乱で、庶民もある程度戦局は把握できたでしょう。 山本 今おっしゃるように大正デモクラシーとか、大正期の自由な教育の遺産は決してバカにならないもので、昭和初期あたりのデモクラシー論や宣伝論を見ますと、かなりリベラルな考えで、第一次世界大戦から発達したアメリカの政治論とか、プロパガンダ理論を受け入れているんです。軍人が台頭するまでの大正デモクラシーの自由な雰囲気が戦後復活して、昔あった遺産と伝統が蘇った。戦前までの日本にデモクラシーの基盤がなかったというのは明らかに誤りです。 保阪 だから、何から何までGHQが教えて日本人が初めて民主主義を知ったわけではありません。むしろ戦後、ファナティックな民主主義というか、占領されたときのファナティックな意識のほうに僕は問題があるんだという気がします。 山本 あ、先生が拍手する。 保阪 一番最初にアメリカ兵を見たときは、ものすごく怖かったですね。何かもう全然違う生き物だと思いました。その恐怖感は今でも残っていて、電車で隣にアメリカ人が座ると、時どきフィードバックしてきます(笑)。アメリカに行くとそんな感覚はないのに、日本にいるとそういう感情が起こる。不思議ですよ。やはり、その怖さっていうのは、四、五歳で植えつけられたイメージが潜在化しているんじゃないかという気がします。 「見える検閲」と「見えない検閲」 山本 保阪さんがNHKのラジオ番組「真相箱」を使ったGHQの日本人洗脳工作について分析された『日本解体』(産経新聞社刊)を大変面白く読ませていただきました。昭和二十年十二月九日からNHKラジオが日曜の夜八時から八時半まで放送した、戦争中の歴史の真相を伝えるというふれこみの「真相はこうだ」という番組は、かなり聴取者の反発があったようですね。戦争中とは打って変わって、掌を返すような激しい軍部批判が同じ放送局から流されることに対する国民の反発ですね。その背後にアメリカがいるというのはみな薄々感じとった。それで、昭和二十一年二月十七日から「真相箱」という番組に衣替えして、日本人は軍国主義に騙されていた、軍閥はこんな酷いことをやった、あなた方は被害者だというプロパガンダをもっとソフトにやりました。 もちろん、GHQが背後にいて、NHKにつくらせたわけですが、こうやって国民は、戦後、頭の切り換えをうまくさせられ、それが現在に至っているということは間違いない。アメリカのやり方は非常に巧みでしたね。「真相はこうだ」の激しいやり方では強い反発を受けると反省して、すぐにソフト路線に軌道修正する。しかし基本路線は一貫して変えない。 保阪 「真相箱」もその一つですが、新聞、ラジオ、雑誌、映画を検閲したCIE(民間情報教育局)がやった検閲は、普通の庶民には見えないわけですね、検閲されているのが。 保阪 「真相箱」の内容をくわしく吟味していて、私が感心したのは、日本人が権威に弱いことと、理論よりも感情を重視することを巧みに用いています。怒りの感情をかきたてて考えないようにすることをまず主眼としています。昭和初年代から十年代の初めに、日本は情報鎖国帝国になっていますが、私は、その特徴は教育の国家統制、情報の一元化、暴力装置の発動、立法による威圧の四つがあったと思います。GHQはこれを全部解体するのが、真の自由を確保する体制とといったわけですが、実際にはこの四つを目に見えない形でつくりあげていったわけです。そのからくりは、検閲体制を検証することで暴かれると思う。私は、「真相箱」の研究をその視点で進めてみたわけです。 「真相箱」は明らかに誘導していきますね。「日本が南京で行った暴行についてその真相をお話し下さい」という質問に「婦女子二万名が惨殺されたのであります」と答え、まず二万人から南京虐殺が始まっている。「"侵略"という言葉の本当の意味をお知らせ下さい」という質問には「ウエブスターのニュー・インターナショナル・ディクショナリーの第二版、決定版によりますが」と、言葉の定義から始まって、日本の戦争は侵略戦争という結論に導かれています。この誘導が僕は面白いなあと思いました。「東京裁判」での起訴状やや判決文とか、戦後の歴史教科書の記述と一体化していくんですね。アメリカの占領政策は国民の意識を誘導していくための大きなシステムをもっていた。で、「真相箱」はそのパーツの一つだと感じました。 日本占領とイラク占領の差 保阪 これは一九三〇年代のアメリカの大衆社会の中のPR術や宣伝術のノウハウを駆使しているということですか。 ですから、その成果を十分戦後の占領に反映させるような努力がなされました。実際、ルース・ベネディクトの『菊と刀』をはじめ、占領を前提にして日本人の心理、行動様式を把握する研究をアメリカは積み重ねています。米軍人のレポートを見ますと、みんなかなりの学問と知性がありますね。 保阪 ええ。僕も偉い人だなあ、と思って、退任したとき国じゅうがみんな「マッカーサー、ありがとう」みたいになりましたね。国会で感謝決議までしている。 保坂 日本人がイラク人ほど性根がすわっていないというか(笑)、言いすぎだけど、自国の権力者に対して庶民が戦った伝統がないわけですから。そういう国民……まあ、イラクだって、あったかどうか知りませんけど。あれだけ強固な天皇制に対してうまくコントロールできたというのがアメリカの過信になったのではないですか。 山本 天皇を訴追してしまったら、大混乱に陥ったことは確かだと思います。いまの選挙の出口調査と同じで、開票速報の出る前にアッという間にアメリカは天皇の重要性が分かったんです。開票速報の楽しみもないような出口調査ってありますね。あれと同じで、太平洋戦争中の捕虜や、中国延安の捕虜収容所の調査で、日本人は天皇以外の軍部に対しては、みんな非常に反発を感じているとか、簡単にアメリカ側についてくるという調査、分析が完全になされています。 保阪 私は大学を出た後、電通PRセンターに就職して二年ほどいて、それから出版社へ移ったんですが、ちょうど昭和三十年代の終わりごろで、電通PRセンターではアメリカのPR戦略について多くの書を読まされ、論文も書かされましたね。一九三〇年代のアメリカの社会で作られたPR技術は、戦争によってさらに発展します。それが企業活動にも活かされていくわけですが、日本でこのPR戦略をもっとも早く学んで活かしたのは、映画の新作キャンペーンだといいます。私自身は広告やPRは形を生むものでないので辞めたんですが、当時の同期入社の者が日本のPR戦略を今は担っていることになります。 彼らとこの前三十数年ぶりに会って話しを聞いていたら、PR戦略と自らの信念や社会基準をどう合致させるかが依然として問われていると言っていますね。そのアメリカのシステムが最も成功したのが日本だったわけですね。 今も日本を支配する占領メカニズム 山本 そういうテクニックは冷戦下にも随分精巧なものができたはずです。カタールの衛星放送アルジャジーラなどもアメリカの放送じゃないか、という気がテレビを観ていてしました。オサマ・ビン・ラディンの肉声が出てきたとかだいぶ怪しいけど、疑えばプロパガンダ機関と取れなくもない。相当入り組んだプロパガンダのテクニックは第二次世界大戦を通じて開発されたし、イギリスはもっと伝統があるんですね。 山本 ところが、今回は国防省顧問のケリー博士がBBCへ情報をリークした話が出たのも不思議です。ブレア首相への忠誠心が全くない組織があるのかという感じがします。MI−5(保安部)やMI−6(秘密情報部)とかイギリスは諜報機関が正体を現さないという伝統で来ていたのに。 山本 プーチン大統領はKGB長官でしたからね。ロシアも、今、相当やっているわけです。 山本 そうなんですよ。それから、江藤淳さんが指摘したことですが、検閲に協力した人々の証言がほとんどないんです。例外は、熊本に復員して阿蘇のホテルに勤務していた東大英文科卒の甲斐弦さんが書いた『GHQ検閲官』(葦書房)と、日本女子大の学生だった横山陽子さんが自費出版した『鎮魂の花火輝け隅田川』です。「私は人々の心の中を見て、検閲者側に立ってやって、初めて懺悔する」という告白をしています。また、当時東大生だった神谷不二さんもアルバイトで検閲に携わっていた事実を「諸君!」(平成十二年七月号)に書いています。検閲で働いていた日本人はピーク時には八千人もいたのですが、もっと明らかにされるべきです。 保阪 GHQの裏側ですね。『GHQ検閲官』を読んだときに、本当にこんなことをしたのかと驚いた。もう関係者は証言するべきですよ。それにしても高度にテクニックが発達した裏側の情報管理で我々を変えていったわけですね。 驚いたのは、暗号書です。戦争中、日本の船会社が使っていた暗号書を、船会社ごとに暗号表の原本を集積しています。メリーランド州のフォート・ミードにNSA(国家安全保障局)という機関があります。秘密に包まれた機関ですが、そこには暗号博物館があって戦争中の暗号関係資料を一部公開したんです。それを見たら、戦争中に沈没船とかから回収したものもあるんでしょうけれども、非常にまっさらできれいな状態の暗号表が揃っている。ということは、占領下の権力で集めたと思うんです。どうしてこんなに集める必要があるのかと思うぐらい、その執念は大変なものです。アメリカはシステマティックに基本的なデータ収集を継続する方針でしょうから、今でも丹念に暗号解読は行われているはずです。日本の実体の把握をやり続けているわけですから。 保阪 検閲と洗脳工作が占領中から継続しているわけですね。それは十分考えられますね。年表には表と裏があるというのが私の考えで、裏の年表も明らかになれば、継続の実態が分かるんですけれど・・・・ 山本 と思いますね。NSAの表の顔は暗号記念館です。ドイツや日本が使っていた暗号解読機械とか、資料を公開していますから一般の人は誰でも行ける。ところが、その背後が地図を見ると膨大な敷地です。そこに三万八千人が働いているらしい。CIAどころじゃない。世界中のパソコンを全部把握でき、電子メールを盗み見しているエシュロンもそこにあります。 山本 あります(笑)。こういう研究自体、アメリカへ行かざるを得ないのが、まず情けないし、日本で調べたい。しかも、苦労して調査した内容も、日本人捕虜がスラスラと敵国に協力したといったような話ですから。日本兵捕虜を弁護する余地はあるにしても、ちょっと嘆かわしいし、先祖がそうしていたことは、やはり虚しい気持ちになります。 中国・ソ連共産党の洗脳工作 保阪 シベリア抑留の人に聞くと、抑留所の中に一種のヒエラルキーとか、そういう空気があったと言います。それをソ連は利用して「同志」をつくる。「アクティブ」と呼ばれる共産主義の活動家をつくったんですが、アメリカとは洗脳の方法が全く違いますね。 日本兵というプライドがあって反発した兵士は第二学校に入れられる。野坂参三は一切言わなかったのですが、延安に第二学校がありました。不満分子を集め、苛酷な環境で再教育し、洗脳されれば第一学校へ戻す。そして、その中で優秀な兵士をプロパガンダ用兵として前線に送り込むプランがあった。日本の本土戦に彼らを連れていく予定でした。そういう息の長い洗脳システムを中国共産党は考えていた。アメリカは中国に比べるとまだ単純でした。 ニューギニアやガダルカナルなど、太平洋のいろいろな戦場で日本は負けますが、負けた兵士たちに聞くと、ある朝、目が覚めたら、海岸にアメリカの船が何千隻も押し寄せ、水面が見えない状態だったと証言しています。しかも、必ず上陸する一週間前から爆撃機が来て激しい爆撃で裸にされる。で、次に想像もできなかった艦数が海を覆い尽くし、一斉にそれがドーン! と艦砲射撃をしてから上陸してくる。戦術も全部システマティックなんです。そういう状態で上陸してくるから、アメリカに対する怖れを感じざるを得なかったでしょうね。それでも戦って玉砕するという戦術は悲惨としか言いようがない。最後には玉砕というレールを走ることが目的になっていたと思われるほどです。 山本 そうですね。それは三十八度線で韓国軍、米軍に対峙する現在の北朝鮮軍兵士たちが感じていることと、似ているのではないでしょうか。投降したいと思っていても背後から撃たれますからね。日本兵にもおそらくそういう恐怖感があったのかもしれない。だから、捕まってしまうと一気に本音を吐き出すというメカニズムがあったんでしょう。 保阪 いくらアメリカに抵抗すると言っても、その意味が不透明になっています。それと、私が危惧していることがあるんです。昭和二十年八月九日にソ連が旧満州に入ってきたでしょう。そのときに、新京(現在の長春)の関東軍司令部から二十八両の列車で関東軍の資料をモスクワに運んだといいます。この資料を解析するのはまだすべて終わったわけではないようですが、今後はこうした日本にとって不利な資料がときに公開されて、その時々の日本の政権には圧力がかかるのじゃないだろうか。こうしたことはソ連だけでなく、アメリカ、中国、イギリスにもいえるでしょうから、私たちは逆に日本の過去の政策についてつねに検証しつつ、そうした資料の位置づけを考えておかなければなりません。 日本メディアの発信力強化を 山本 メリーランド大学のプランゲ文庫には膨大な日本占領政策の資料があります。占領中に検閲された出版物、検閲記録の宝庫です。データベース作成や資料の発掘のため、アメリカにしばらく滞在することが多いのですが、いつも残念に思うのが、アメリカでの日本メディアの存在感です。存在感がほとんど無い。名前さえ出てこない。かつてなら「日経平均」というのがありました(笑)。ところが、九八年に、長期滞在したときはもう消えていました。今や全く日本メディアのことは報道されません。株式市場で極端な暴落をしたときは出るでしょうけど、例えば朝日新聞の記事を転載するという形で日本の新聞の名前が出てくればいいけれど、それさえも出ていない。共同通信も、NHKも全然出ませんね。 ところが、戦争中は同盟通信と、ラジオ・トウキョウ(現在のNHK)が有名でした。よくアメリカのメディアにも登場していました。日本の強烈なプロパガンダ機関として傍受しなければならないし、アメリカのメディアに転載して、日本の動向を把握することが重要でした。しかし、現在ではバブル崩壊後、日本が経済的苦境に陥ってから、日本メディア軽視の傾向があります。それまでは日本の情報もけっこう多くて、発信源が日本のメディアというニュースもあったんですが。 山本 それには日本のメディアそのものが英語の発信力、宣伝力に欠けているという根本的な問題があります。我々……、いや、私もその典型で、偉そうなことは言えない(笑)。どんどん英語で発信しなければならない時代なのに、日本メディアの英語発信力が劣っているんです。共同通信の偉い人に聞くと、社員を養成して、留学させて、アメリカの大学で鍛え上げても、共同の英文は書き直される。だから、緊急の時に利用できないと言われるんだそうです。それだけ我々の英語の発信力が弱いということも、国際化、プロパガンダ、宣伝、PRの時代に日本が後れを取っている原因です。 保阪 日本で語る論理と外国で語る論理に一貫性がないからでしょう。つまり、日本人ならこの話は分かるんだよ、という回路で論理が完結するものがあります。そういう論法は日本の国内では成立するんですが、それを外へ持ち出して、そのまま訳しても全然つながらないんです。この論理のインターナショナルな回路を日本人はつくらなければいけないと思いますね。 閉ざされた思考空間からの解放を 必ずしも江藤さんのことをよく言わない研究者もいますが、正当に評価しなければ、江藤さんを克服できないと思います。GHQの検閲が事前検閲から事後検閲に変わった昭和二十三年に、朝日新聞社の嘉冶隆一出版局長が「各自の心に検閲制度を設けることを忘れるならば、人災は忽ちにして至るであろう。事後検閲は考えようによれば、自己検閲に他ならぬわけである。」と部下たちに「自己検閲」を呼びかける文献を見つけました。これなどは江藤さんが描いた「閉ざされた言語空間」そのものです。 ただ、一面、江藤さんは一般人の目に見えない検閲に力点を置きすぎて、検閲ですべて戦後空間がつくりあげられたという言い方になってしまったと思います。アメリカの表の機関がマスメディアを指導、啓蒙して日本人は間違っていたと民衆を誘導したという動きを軽視しているのではないか。後進の者のないものねだりはありますが。保阪さんが分析した「真相箱」が一つの典型例ですけれども、CIE(民間情報教育局)が指導した反軍国・民主主義とか、あるいは天皇制に対する考え方だとか、そういうもののほうがパワーと影響力があったはずです。CIEが基本的につくった世界観と歴史観をCCD(民間検閲支隊)の検閲が補強したという関係だと思います。 問題なのは、江藤さんのような大事な業績を日本人が残したのに、アメリカにいて研究条件に恵まれているアメリカの学者が二次資料しか使っていない。評判になったジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』は二次資料で書かれたものにすぎません。 保阪 今年の八月に北海道新聞の文化面にある原稿を書いたんです。八月十五日になると、いつも僕は気にかかることがあると。正午のサイレンにあわせて甲子園で高校球児たちが黙祷します。彼らに何で黙祷するかということを教えて、理解させて黙祷しているならいいけれど、そうでないのではないかと書いたんです。一九八六、七年の生まれの子に自分が生まれる四十年前に終わった戦争を悼んで黙祷しろ、ということですよね。 山本 歴史事実を語り伝えるということは、今日のお話のようなものも含めて次世代に伝えていくということですね。 (「諸君!」平成16年1月号所収)
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